ランチの後に、神戸市役所南側、東遊園地内にある「慰霊と復興のモニュメント」と「瞑想空間」
に行ってきました。



(娘が鶴を作っていたので、瞑想空間に供えてきました。)
阪神・淡路大震災を娘にどう伝えたらいいのか、正直難しいです。でも、伝えていかなければいけないのでしょうね。
1995年1月17日、地震の悲惨な様子を、私は京都でテレビの中継を見ながら知ることになります。なにもできずに、ただただ、見ているだけでした。
三ヵ月後ぐらいに、長田の役所で仕事をしていました。周りは焼け野原。家は崩れていました。(崩れた宅地の石垣やコンクリートの調査をしていました。)
今では、どうやって寝泊りしていたのか、どうやって食べていたのか、正確に思い出すことができなくなってきてます。(神戸市役所の裏手のビルでシュラフで寝、コンビニの弁当を食べながら、長田に通っていたと思います。でも、どのくらいいたのだろう? 2週間ぐらいだったと思うけど。。。)
長田の役所では、当然、避難していらした方が多くいました。
どうやって接していたのだろう
あれから、12年あまりがたち、神戸も随分変わりました。今では、地震の面影が全くみあたりません。
私も、こんなことが、やっと、書けるようになったかなと思います。(結婚式のこととか、レストランのこととか、楽しい事は書けても、地震のことは、あまり書けませんでした。)
でも、それだからこそ、これでいいのかなと思ってしまいます。

(神戸市役所:なぜ高層ビルにしたのか?地震に対しての畏怖はどうしたのだろう。)
「1.17希望の灯り」には碑文が刻まれ、「あの震災で亡くなった方々の命と生き残った私たちへのメッセージ」を発信し続けています。 1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった1秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われた すべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ
きょう、石川県で震度6強の地震が起こりました^^;
(参考)
さとなおのいろんなコラム「人生いろいろ 体験!阪神大震災」
地震が起こったらまずこれをしろ!
地震が起こる前にこれだけはしておけ!
震度7の朝、妻は臨月だった。
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